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燦として列星の如し





井上靖さんの「星と祭」読了しました。
滋賀の十一面観音と琵琶湖をモチーフに書かれた小説です。
井上靖さんの作品を知ったのは、NHK特集「シルクロード」で。
中学生の時分には「楼蘭」「敦煌」「天平の甍」など読みふけったものです。

※勢いで書いたので、誤植修正しました。
「星と祭」

詳しいいきさつは不明のまま、十七歳の少女みはると二十一歳の青年が貸ボートで琵琶湖に漕ぎ出し、突風に煽られて転覆、懸命の捜索にも関わらず、二人の遺体があがることはなかった。

みはるの両親は離婚し、父方の祖母に育てられるも、思春期になったころ、名家の出で手芸作家として名をあげた母親に引き取られる。
この物語の主人公は、少女みはるの父親「架山」。
十分に父親らしいことをしてやれなかった、しかし大切に思っていた娘を亡くし悲嘆にくれる父親は、ある時から心の中で娘との対話を始める。この時点で、かれにとっては娘はまだ死んでおらず、琵琶湖の竹生島あたりの水底に沈んだ状態のまま、この世とあの世の境目にいる。
当初、かれは無謀にもボートを漕ぎだした(と思われる)青年とその父親をひどく憎んでいる。

対照的に青年の父親「大三浦」は琵琶湖から離れられず、いつまでも息子を亡くしたことを恨み嘆き(時に貸しボート屋の主人にまで八つ当たりをし)、やがて琵琶湖周辺におおくまつられている十一面観音を参拝し回ることで、湖底に沈んでいる息子たち(こういわれるのを、架山は快くは思わない)を供養し、十一面観音に守られていると信じている。

その二人を客観的な目で(しかも半分当事者という十字架を背負った)見守るのが、くだんの貸ボート屋を営んでいた「佐和山」。彼もまた、大三浦に巻き込まれる形で、十一面観音に魅せられている。

架山の気持ちのターニング・ポイントは三度ある。一度目は娘の死から四年目、旧友と再会した折に居合わせた大学教授から「虚像」の話を聞いたとき。いわく、「ある友人は『この地球上の人間は虚像であり、宇宙のどこかの遊星群のひとつに自分と同じ人間が同じように生きている。そのどちらかが実像で、虚像である』というのだよ」。娘の死は遠い星の出来事であり、虚像であると思いこむことにより、事件をやっと振り返ることができる。
二度目は登山仲間と訪れたヒマラヤの小さな村で見た、満月。太古と変わらぬヒマラヤの大地、そこで架山は「永劫」について思う。ひとは生まれ、死んでいく。そのことに意味は無いのだとも。祈りとともに生きる、ヒマラヤの人々の生き方にもうたれて、かれらの姿と大三浦の姿を重ね合わせ、敬遠していた彼を初めてなつかしいとさえ思う。

そして、三度め。圧巻は、物語の最終盤、ともに子供を湖の事故でなくした男親二人と
貸ボート屋の主人が、満月の琵琶湖に供養の船を出すシーン。
湖心で大三浦が、二人を供養するために滋賀の十一面観音を勧請(の使い方はこれでいいのかな)する。架山にも、それまで詣でてきた観音の姿が確かに見え、瓔珞(仏像を飾るアクセサリー)がふるえきらめく宝石どうしが触れ合う音を聞く。湖をぐるりと観音像が囲み、湖面をふちどる幻想の様を『燦として列星の如し』と架山は感じる。何と美しい供養の様だろうか。

みはるの父親架山は、八年に及ぶ長かった殯(もがり。古代、特に身分の高い人物が亡くなった場合行われた。死者をすぐに埋葬せず、仮の殯の部屋をこしらえ、生者と死者の中間の状態に置き別れの準備をする…でいいのかな。作中では、万葉集などにある挽歌は殯の次期に詠まれたとあります。人間が、偽りのない会話を交わすことのできる唯一の期間とも。このあたりの描写にはしびれる)の時期が終わるのを感じ、同時に心の中にいる娘との決別に寂しさも感じる。

愛する者の死は、どうしたことで乗り越えたり癒されるものではない。それが作者のもっとも伝えたかったことだろう。長い長い回り道をして、ふたりの父親が湖にともに漕ぎ出したことで、ようようふたりはこの世からあの世へとゆくことができたのかもしれない。悲しむこと、祀ること以外に愛する者の死へ向かい合う方法はないのだと。

「星」は、架山が娘の死を運命と感じたり、永劫のごくちいさな出来事と思い処理しようとしていることだそうです。しかしそれによっても悲しみは消えることはありません。
「祭」は、大三浦がひたすらに愚痴をこぼし、嘆き、息子のためただそれだけのために十一面観音をめぐる姿。

死者に対しては手厚く接しなければならず、それは生きることに対して手厚くあることだとも井上さんは述べられています。それは死も生もまともに向かい合えない、現代に対する提言でもあると思います。

井上靖さんは、十一面観音に深い愛情を抱いていた(熱心なファンといいますか…)のが非常によく伝わってきます。自分が訪ねた観音様の姿と抱いた感想を重ねてみるのも楽しい。
この度の短い旅で、三橋節子さんの美術館と、その後十一面観音さんを拝んだときの気持にとても似ています。私はたぶん父親や若くしてなくなった友人、もう会えない人たちのことを思い出していました。
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Author:JALAN-JALAN
1993年からデザインの仕事、1999年から石けん制作をしています。
趣味は移動でいつもどっか行きたい…と思っています。

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